書道家/書家SOGEN blog ある日の岡本太郎 2005.6.24 投稿

投稿日: 2005年6月24日

 

 

20歳のとき、長岡市の教職員の集いで岡本太郎の講演を聴き、衝撃を受けた。

聴衆は、市内の幼稚園・小・中・高校までの教職員、約1000人。
まず壇上に上がった岡本太郎が開口一番に発した言葉に驚いた。

 

「私はなんにも考えてきていないんで、何か聞きたいことがあったら
聞いてください。」

 

一同、唖然として沈黙・・・

うーん、講演に呼ばれて来ていながら、そんなのありなのかよ・・・

みんなそう思ったに違いない。

 

しばらくして幼稚園の先生が手をあげて、

「岡本先生は、遊びというものをどう考えておられますか?」と尋ねた。
すると太郎は両手を拡げて「じ・・・人生すべて遊びです。」

それから延々と話が繋がって、その内容がまた傑作。
「新幹線に乗ってきたばかりで、いまちょっと疲れてますが、だんだん

調子がでてきますから・・・」と前置きしていた通り、話はどんどんと

エスカレートし、いつしか佳境に入り、聴衆は皆いつのまにか太郎の話に
惹き込まれていった。

答え終わると「じゃあ、次の質問ある方どうぞ・・・。」といった具合に
質問を受けてはそれに答えるという形で講演は進められた。

オイラも思いきって質問したよ! その内容はまたの機会に。

 

会場は太郎の発する独特のオーラに覆い尽くされ、いつしか感動の渦が
1000人の聴衆を呑み込んでいた。

当時はカリスマなんて言葉をあまり耳にすることのない時代だったけど、
いま思えば、岡本太郎こそ、まさにカリスマだった。

 

太郎は「ここを行ったら安全だと始めから分かっている道と、ここを行ったら、

もしかしたら命を落とすことになるかもしれないという危険な道とがあったなら、

自分は迷わず危険な道のほうを選ぶ。」と言っている。

一般的な考え方からしたら逆説的だが、この言葉には深い共感を覚える。

他人が引いてくれた 安全な路線を歩くよりも、不安や身の危険があったとしても、

自分が湧き立つ ことのできる自分自身の道を切り拓いて進むほうが、

人間本来の生命は 光り輝くのだということ。

その精神は、いまも自分の中に生きている。

 

 

 

以下に岡本太郎の言葉を掲載する。

 

 

「素朴に、無邪気に、
幼児のような眼をみはらなければ、
世界はふくらまない。」

 

 

「イマジネーションによって、宇宙と遊ぶのだ。」

 

 

「全生命が瞬間的にひらききることが爆発なのだ。」

 

 

「絵がすばらしいんじゃない。感動する自分がすばらしいんだ。」

 

 

「どうして芸術なんかやるのか。
創らなければ、

世界はあまりにも退屈だから
作るのだ。」

 

 

「詩は自然の彩りを変える。
惰性的な空気の死毒に

おかされないためにも、
人間は
創造しなければならない。」

 

 

「ときどき、声を出して笑う。

面白いねぇ、実に。オレの人生は。
だって、道がないんだ。
眼の前にはいつも、なんにもない。
ただ前に向かって

心身をぶつけて挑む、
瞬間、瞬間があるだけ。」

 

 

 

 

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